Russia-7:2001.7.29〜2001.8.5

 

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月1日(4日目) スズダリ〜モスクワ

  

  スズダリ
 モスクワから北東に約220Kmにあるロシアの古都。どこまでも続くまっすぐな道、地平線が印象的な町。修道院や教会群、町全体が博物館といってもいいほど・・・。

<リゾパロジェンスキー修道院>

<スパソ・エフフィーミエフ修道院>

この「聖なる門」は、スズダリ建築物の中でも傑作といわれている。

 

 

1352年に造られた修道院。周りは、高さ8m、長さ1Kmにわたる城壁で囲まれている。

ソ連時代は監獄だったが、現在は博物館になっている。

<ロジェストヴェンスキー寺院>

青地に星の5つの丸屋根を持つ、13世紀の建物。

 

 

 人々の家:こじんまりとした家が多かったです。しかし・・・、画像を見てもわかるように装飾が凝ってました。外壁の色もライトグリーンやライトイエローなど明るい色の建物が多かったです。レンガや板ではなく、漆喰に色を塗ってるから?


<ニコリスカヤ教会>

昨日の夕食に引き続き、昼食も修道院ででした。この教会の一階で昼食を取りました。昼食中、ちょっと暇なので一枚(写真中)。この構図、結構好きです。食後は、教会周辺の散策、こんな牧歌的な風景も見られました(右)。

 昼食後は、一路モスクワへ・・・。行きは、いろんな町を見学しながらだったので、そんなに感じなかったのですが、帰りはひたすら車の中。「こんなに遠くに来てたのね」って感じかなぁ・・・。

  モスクワ

 ふたたび、モスクワへ戻って来ました。今夜は列車でサンクトペテルブルグまで移動、出発時間が深夜のため、それまではロシア芸術鑑賞という予定になっていました。スズダリからモスクワへ戻る途中で、サーカスを見に行くことを聞かされました。着後、すぐに夕食を取り、慌てて会場へ向かいました。

 <ボリショイサーカス>

 猛獣と言われる動物は全く登場せず、唯一登場した動物は、小さな熊でした。ステージがアイスリンクになっていて、出演者は、スケート靴を履いての演技でした。アイスリンクとは思えないぐらい自由に動きまわり、この点はすごいとおもいました。が・・・、最後の空中ブランコ・・・、これは、単に往復をしてるというぐらいで、なんか消化不良。「ボリショイサーカス」と期待していたのですが、日本の「木下大サーカス」etc.の方がすごいと、私は思いました!!

 その後、赤の広場近くのロシアホテルへ行きました。列車の中では個数が限られるため、ここで洗顔等を済ませました。まだ列車の出発までには時間があるので、このホテルのロビーで時間をつぶしていました。

 ホテルの正面が、赤の広場だったので、夜景を撮りに行きました。

 列車の出発時間は、23:55。モスクワの「レニングラード駅」から出発します(ロシアでは、行き先がそのまま駅名となるそうです。レニングラードとは、サンクトペテルブルグの旧名。何故か駅名は昔のままだそうです)。すぐ隣りには「ヤロスラヴリ駅」もありました。ここは何とシベリア横断鉄道の発着駅でした。年輩の人が多いため、シベリア鉄道という言葉に反応が高かったです。一度は乗ってみたいですよね・・・、多くの人々の犠牲の上にひかれたレール・・・。せめて、駅の写真だけでも撮りたかったのですが、時間がなく、駅前の治安は悪いため、添乗員さんに注意され撮影できませんでした。

 

←今夜の寝台列車「赤の矢号」

 今夜は、寝台列車「赤い矢号」ですごします。やはり、列車内の治安も良く無いようで、ボディガードさんが二人付きました。一人はチャックウイルソン、もう一人はニコラスケイジ似の筋肉質のお二人でした。

 明日の朝の到着まで 私達の利用する車両を巡回してくれるとの事でした。

 生まれて初めて寝台特急というものに乗ったのすが、思ったより静かでなかなか快適でした。旅行中、一番ベッドのクッションが良かったというのは、考えもものですけどね・・・(^^ゞ

 目覚めれば、サンクトペテルブルグ(^.^)

 明日に備えて早めに就寝しまぁす!

<寝台特急の通路>

 左側が窓、右側が部屋です。部屋には、きちんとカギがかかり、ドアを壊さない限り入れない構造になっていました。

<一等車の2人部屋の中>

 手前が入口。ベットは狭く、寝返りはうてなかったけど、この旅行中で1番クッションは良かったです。炭酸入りの水、サンドイッチとヨーグルト等の軽食(夜食用)も準備されていました。


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