Russia-12:2001.7.29〜2001.8.5

 

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月4日(7日目) サンクト・ぺテルブルグ→モスクワ移動〜

 

  サンクト・ぺテルブルグ → モスクワへ

 とうとう今日は帰国日です。サンクト・ペテルブルグ10:10発SU780便にてモスクワ(11:35着)へ行き、19:55発SU547便にてモスクワから関西空港に戻ります。モスクワでの乗り継ぎ時間が長いため、その時間を利用してオプションにて観光に行く予定。モスクワに着いて、スーツケースを一旦受け取り、国際空港の再集合場所をチェックし、13時頃に解散。オプション参加組は、そのままバスにて、観光に出かけました。フリーで行動される方達は、バスと地下鉄を利用して観光するとの事でした。まだ、「ピロシキ」を食べてない事に気づいて、買って来てもらえるようにお願いしました。

  カローメンスコエ
 クレムリンの南東、モスクワ川沿いに345ヘクタールにわたって広がる自然保護公園。14〜17世紀の教会や木造建築が、博物館の展示物のようにならんでいました。

 このカローメンスコエの名前が歴史上に登場するのは、14世紀のはじめのことで、16世紀ぐらいからは歴代のツァーリ(イワン雷帝やピョートル大帝など)が別荘を建てて住んでいたとか・・・。

←<カローメンスコエのエントランス門>

<ヴォズネセニエ教会>

 この公園の中で最もふるくてユニークな形のもの・・・これは、1532年 モスクワ大公のワシリー3世が後のイワン雷帝の誕生を祝って建立させたものです。四面の急傾斜の尖塔と半円状の装飾で飾られた古代ロシア独特の建築様式の最古のものだそうですが、まるでロケットみたいですよね。

 

 

 

 

↓<ゲオルギー鐘楼>

↓<ピョートル小屋>

1702年の建築物。もともとこの場所に建てられたものではなく、白海のアルハンゲリスクから運んできたということでした。

木造の質素な建物の中には 書斎・寝室・食堂・食糧貯蔵庫が当時のまま保存されています。

この建物は、天井も低く、中も狭く、人がすれ違うのがやっとという感じでした。

残念ながら、内部は撮影禁止でした。


 このあと、昼食を食べ、再度、モスクワ市内のアルバート通りに戻りました。

  プーシキンの家博物館

 ここはモスクワの人々にとって最も貴い場所となっています。

 ロシア国民文学の祖として後世に影響を与えたプーシキンが、結婚前後の1831年2月の初めから同年の5月の半ば頃まで、ここで暮らしていました。この博物館には、プーシキンが生きた時代の様々な資料が展示されており、モスクワの街の銅版画や、生活を描いたイラスト、肖像画、プーシキンの代表的韻文小説である「エブゲニー・オネーギン」の初版本などがあります。

<プーシキンの家博物館>

<プーシキンの像>

  アルバート通り

 プーシキンの家博物館を出るとアルバート通りです。少し自由時間があったので散策を・・・。

 まだ「ピロシキ」を食べてなかったので、添乗員さんにロシア語で書いてもらい、通り沿いのカフェを何軒がまわりました。

 「Mのマーク」のお店の裏側に「ピロシキ」屋さんがありました。ロシア語がわからないので、適当に買ったら、中身はなんと・・・キャベツでした。現地でのピロシキは、思っていたよりサイズは大きかったけど、揚げパンみたいな感じでした。値段の方は、1個20円ぐらいだったと思います。

 ちなみに・・・、Mのマークのお店での値段は日本とそんなにかわりませんでした。ピロシキの値段と比較するに「Mのお店」が「レストラン」と言われるのも納得できますね・・・でもまぁ、やっぱり違和感はありますが・・・。

 

 自由時間も少なくなり、念願のピロシキも味わった事なので、バスに戻りました。プーシキンの建物の後ろにやたらと大きな建物が・・・。この建物は、外務省のビルだそうです。どこの国もそうですが、お役所の建物は立派なものです・・・。

 

  


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