Russia-11:2001.7.29〜2001.8.5

 

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月3日(6日目) 〜エルミタージュ国立美術館〜市内観光

 

  エルミタージュ国立美術館

 ロシアが世界に誇る超一流の美術館。美術館は、歴代ツァーリの住まいであった「冬の宮殿」と4つの建物が廊下でつながり構成され、部屋の総面積は46000m2にもなります。この巨大な建物の中に、300万以上もの絵画、彫像、発掘品が展示され、世界の4大博物館の一つに名前を連ねています。

 1番の見所は、西欧美術のコレクションの数々、その数はエルミタージュが単なるロシアだけの宝だけでなく、世界のエルミタージュであることをはっきりと示していました。ここはまさに、地球の北の果てに存在するエルミタージュ(隠れ家)、世界の美の宮殿なのですね。


 <宮殿広場> 

 美術館前の広場は「宮殿広場」と呼ばれ、広場の中央には「アレクサンドルの円柱」が立っている。これは、1812年の対ナポレオン戦争の勝利を記念して造られたもので、高さ47.5m、直径4m、重さ600t、何の支えもなく自重だけ立つ1枚岩の花崗岩の柱。残念ながら・・・、工事中でネットがかぶってました・・・。

 宮殿の内部には、この宮殿広場から入ります。

  聖ゲオルギウスの間(大玉座の間)、紋章の間

<聖ゲオルギウスの間>

<聖ゲオルギウスの間>

 聖ゲオルギウスの間は、大玉座の間とも呼ばれ、冬の宮殿で最も重要なホールのひとつとされています。白い大理石の柱で支えられたホールの奥には、ツァーリの玉座があり、革命前まではこのホールで荘厳な儀式が行われていた。別名、「謁見の間」とも呼ばれています。

 

<紋章の間>

 その名のとおり、黄金の列柱が並ぶ1000uの大ホールにロシア全州の紋章が内装に刻まれています。

<紋章の間>

  ピョートル大帝の間(小玉座の間)

 ペトロパヴロフスク要塞を建設し、サンクト・ペテルブルグの街をつくったピョートル大帝は、北方戦争にて、ロシアをヨーロッパの大国の一つにまで押し上げました。この事を記念して、この間はつくられたとか・・・。

 

 皇帝の紋章である双頭の鷹と王冠で飾られた広間には、北方戦争の絵画と真紅のビロードに金刺繍であしらった銀製の玉座が置かれています。

 

  パビリオンの間

 「冬の宮殿」の隣に位置する、エカテリーナU世の時代に増設された部分は、南北の別棟と回廊および空中庭園からなり、「小エルミタージュ」と言われています。

 「小エルミタージュ」の1番大きな部屋が、「パビリオンの間」です。天井には豪華なシャンデリア、床にはローマの湯殿を模した寄せ木モザイクがあり、窓からは空中庭園、ネヴァ川が見えました。
 部屋の中の装飾品も素晴らしく、ポチョムキン公爵がエカテリーナ2世に献上するために英国で買い求めたと言う「孔雀時計」は、時刻になると孔雀が翼を広げお辞儀をするそうです。いまでも機能しており、運が良ければ見ることができるそうです。

 モザイクの机もあり、真珠、サファイヤ、ルビーなどの宝石で造られていました。

  旧エルミタージュ

 「旧エルミタージュ」は、増加する一方の美術品を所蔵するために、「小エルミタージュ」に続いて造られた部分です。

 

 写真は、旧エルミタージュ内の回廊です。柱、天井余すことなく飾りが施されていました・・・。

 

 ラファエロの「聖家族」やレオナルド・ダ・ヴィンチの2大傑作「リッタの聖母」と「花を持つ聖母」などは、このエリアだった様な・・・。

  大きな天窓の間

 「小エルミタージュ」、「旧エルミタージュ」に続いて19世紀半ばになり建てられた「新エルミタージュ」部分にこの部屋はありました。

 エルミタージュ美術館内は、本当に広すぎて、どこがどこだか・・・という感じでした。ラファエロ、ダビンチにはじまり、ルーベンスやレンブラントも数多く集められ、モネ、ミレー、ルノアール等の印象派やセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ピカソまで集められていました。本当に「すごい!!」の一言につきました。 


 エルミタージュ美術館の所有品の一部が、データベース化されインターネット上に公開されています。興味のある方は、[エルミタージュ国立美術館](英語)をどうぞ。

  市内観光

 エルミタージュ美術館見学後、夕食を取り、その後はフリータイムでした。オプションでバレエの鑑賞がありましたが、あまり興味がないので参加せしませんでした。

 同じツアーの方が、地下鉄を利用して市内観光に出かけるというので、同行させていただきました。

 地下鉄は、統一料金で一回3ルーブルでした。ホームに下りるエスカレータは、日本のに比べて非常に速く、乗り降りが怖いぐらいでした。思ったより深い位置に地下鉄がありビックリしました。

 昔は、地下鉄や飛行場等では写真撮影が禁止されていました。今は、昔ほど厳しくはないみたいですが、一応気をつけてくださいね。

<地下鉄ホームへ降りるエスカレータ>

  カザン聖堂
 当時は無名であった建築家ヴォロニーヒンによって設計され、10年の歳月を費やして建てられた美しい聖堂。ネフスキー大通りに向けて広げられた半円形回廊には、94本のコリント様式の柱が並んでいます。

 聖堂が完成した後に、ロシアがナポレオン戦争に勝利し、聖堂の中にはフランス軍から奪った数本の軍旗が飾られているそうです。

 聖堂の前には、クトゥーゾフ正総司令官とバルクライ・ド・トーリの像が戦争の勝利を記念してあるそうです。

 中に入ってみたかったのですが、すでに時間も遅く入れませんでした・・・。 

  スパス・ナ・グラヴィー聖堂

 近くに赤い聖堂に玉ねぎ頭をのせた、モスクワの赤の広場にある聖ワシリー聖堂を再現したような教会が見えたので、そちらに向かいました。

 この教会は、スパス・ナ・グラヴィー聖堂といい、「血の上教会」、「キリスト復活教会」とも呼ばれています。

 ここも入場時間外で外観しか見ることができませんでした。


 次にどこに行くか迷ってたら、遠くに警官の姿が見えました。ワイロ事件もあった事から、警官が居る位置とは反対側に歩き、駅へ向かいました。

 駅に向かう途中に、道を歩いてたら、反対から歩いて来た人に一緒に観光していた人がいきなり殴られるという、この旅行最大の事件がありました。大事には至りませんでしたが、背筋がゾッとする出来事でした。

 その後の観光はやめて、ホテルに戻りました。

 明日は、モスクワに戻りますが、サンクト・ぺテルブルグという街が美しかっただけに、こんな事件が起こってしまい残念でしかたありませんでした・・・。  

  


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