Russia-8:2001.7.29〜2001.8.5

 

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月2日(5日目) サンクトペテルブルグ着〜エカテリーナ宮殿〜市内観光

  

  サンクトペテルブルグ到着

 サンクト・ペテルブルグは、フィンランド湾に流れ出るネヴァ川のデルタ地帯に発達した町。ネヴァ川の支流や運河を含めると、65本の川と100以上の島があり、それらは365の橋によって結ばれ、”北のヴェニス”とも呼ばれる水の都。モスクワに次ぐ、ロシア第二の都市でもある。

 町の中心には、美観を考慮して建てられた18、19世紀のバロック、クラッシック様式建築が、激動の時代を越えて残されている。

 ロマノフ王朝の舞台がピョートル大帝によってこの地に移されてからは、近代ロシアの発展を導く首都となった。サンクト・ぺテルブルグ、ペトログラード、レニングラード、そして再びサンクト・ぺテルブルグと移り変わった町の名前は、それぞれの時代の栄光と名誉を今も保っている。


 朝7:55、ほぼ定刻どおりにサンクト・ぺテルブルグ駅に到着しました。一晩、巡回してくれたガードマンさんとは、駅でお別れしました。

 この人たちは、この後すぐのモスクワ行きでモスクワに帰り、仮眠後、また夜からサンクト・ぺテルブルグ行きの列車のガードマンとして乗り込むとか・・・仕事とは言え、大変です(感謝・感謝)。

 その後、バスに乗り込み、まずは朝食。その後、エカテリーナ宮殿見学のため、サンクト・ぺテルブルグを少し離れツァールスコエ・セロ(旧プーシキン)に向かいました。

  エカテリーナ宮殿
 エカテリーナ女帝の命により、ロシアバロック様式を代表するイタリアの建築家ラストレリの設計によって、1756年に完成した夏の離宮。

 幅300m以上にもなる建物は、落ち着きのある青を基調とした外壁に白い円柱、数多い窓には、ひとつひとつ精密な彫刻が施されています。

 ロココ様式の正面など全体的に見ごたえがあるが、内装もまたすばらしい。

 「黄金の間」は、金箔で飾られ、また壁を絵画一面で飾られた部屋もありました。

 「琥珀の間」が有名で、内装すべてに琥珀が用いられ、世界の奇跡と賞賛されたほどだったそうですが・・・。

 1944年ナチス・ドイツ軍がこの地から撤退したとき、広間には何も残っておらず、いまだにこの琥珀は行方不明だとか・・・。

 撤退時には、町も破壊され、貴重な文化財も略奪されてしまったそうですが、その後修復され、当時の姿を再現しているそうです。


 エカテリーナ宮殿見学後、昼食を食べて、市内観光のためサンクト・ぺテルブルグまで戻ってきました。車窓からの見学と下車して写真撮影のみの見学でした(^^ゞ。

  イサク聖堂

旧海軍省周辺

 金色の円屋根を悠然とかかげているロシア正教の聖堂。高さ101.5m、長さ111.2m、幅97.6mで世界で3番目に大きな聖堂と言われている。建築には40年もの歳月が費やされ、クーポルには100kgの金が用いられているとか・・・。

 南の入口から階段を上がるとドームの展望台に出られる。

 聖堂の正面はイサク広場となっており、広場の中央には、ニコライT世の馬上像(右画像)がある。

ニコライT世の馬上像 →

  デカブリスト広場(元老院広場)

旧海軍省周辺

 その昔、この広場の西側に元老院があったため元老院広場と呼ばれていたが、ナポレオン戦争に勝利し、フランスに進駐した青年貴族たちが、フランスの自由主義の影響を受け、専制政治と農奴制に反対して、起こそうとした反乱(デカプリストの乱)から1925年デカプリスト広場と改名された。この反乱は失敗し、多くの死刑者とシベリアへの流刑者を生んだ。

 1992年に再び元老院広場に戻されたが、デカプリスト広場の方が通りよい。 

← ピョートル大帝像「青銅の騎士」

 

 広場の端に立つピョートル大帝の像は、権謀と術策で女帝の座についたエカテリーナ2世が、ピョートル大帝の後継者であることを誇示するために、フランスの彫刻家ファルコンに造らせたもの。

 これは、ロシアで最初の記念像であり、詩人のプーシキンが叙情詩「青銅の騎士」にうたたったためにこの名前はついたとか・・・。

  スモーリヌイ

 

 ネヴァ川河畔に広がる公園の中にスモーリヌイ修道院と寄宿学校が建っている。この学校は、19世紀初め、エカテリーナ2世によって、貴族の令嬢達の女学校として建てられた。

 しかしながら、1917年の10月革命には、レーニンを中心とする作戦本部が置かれ、ソビエト政権樹立宣言がこの場所で行われ、翌1918年に首都がモスクワに移されるまで、ソビエト政府の中心にもなった。

 現在、修道院の内部は何もなく、コンサートホールとちょっとした土産物屋になっているとか・・・。寄宿学校は、市庁舎になっている。


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