Russia-3:2001.7.29〜2001.8.5
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7月30日(2日目) モスクワ市内観光
昼からの観光は、モスクワ観光のメインであるクレムリンでした。これを見ないでモスクワから帰る観光客はほとんど居ないでしょう。
クレムリン クレムリンは、モスクワ川沿いの高台を取り巻く赤い城壁の内部を指します。
「クレムリン」とはもともと「城塞」を意味するロシア語です。モスクワのクレムリンは、長い歴史の中で徐々に拡大し、皇帝ツァーリの居城として繁栄してきた。ツァーリはその巨大な権力を使い、クレムリン内に様々な建築物や宝を遺した。
モスクワのクレムリンは、ソ連という超大国の頂点であり、ロシア文化の最高の粋が集まった場所である。
@レーニン廟
Aロシア連邦大統領府
Bスパスカヤ塔
Cクタフィヤ塔 Dトロイツカヤ塔
E宮殿兵器庫
Fウスペンスキー大聖堂
Gブラゴヴェッシェンスキー聖堂
Hアルハンゲルスキー聖堂
I大クレムリン宮殿
Jイワン大帝の鐘楼
K鐘の皇帝、L大砲の皇帝
Mロシア連邦大統領官邸
@レーニン廟、Aロシア連邦大統領府、Bスパスカヤ塔
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@レーニン廟
Aロシア連邦大統領府
(奥の丸いドーム屋根のある建物)
午前中に観光した赤の広場から見えたレーニン廟、その後ろのロシア連邦大統領府もクレムリンの一部でした。
<ロシア連邦大統領府>
18世紀末に築かれた宮殿で、ロシア古典様式の典型です。かつてレーニンが居所としていた宮殿で、現在はロシア連邦大統領府として使われています。以前は、ソ連政府の中枢であり、歴代の書記長も執務したソビエト連邦内閣館でした。レーニンは3階の小さな部屋で生活を送っていたそうです。現在、レーニンの居室は博物館になっていて当時の姿のまま残されてるが、一般には非公開だそうだ。どうしても見たければ、中央軍事博物館の中に模型が展示されてるそうなので、そちらへどうぞ。
現在、ロシア連邦大統領府の緑の丸屋根の上には、大統領がクレムリンに居る時には大統領旗が揚げられているそうです。
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クレムリンの周囲は2.235m、その周囲をぐるりと城壁が囲んでいる。
城壁の上には銃眼が並び、適当な間隔をおいて20の望楼が据えられている。その中でも6つの塔の頂上には、ルビー色に輝く星が取り付けられている。
最も高い塔はトロイツカヤ塔です。
スパスカヤ塔には、クレムリンが城壁としての意義を失い始めた17世紀の初めに時計が取り付けられた。文字盤の直径は6.12mあり、現在もなお正確な時間を刻み続けている(鐘自体は15分ごとに鳴る)。
このスパスカヤ塔は、現在公用の入口となっており、政府要人、外国の賓客が大型のリムジン車に乗って通過する門となっている。
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Bスパスカヤ塔
Cクタフィヤ塔、Dトロイツカヤ塔
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クタフィヤ塔(手前)とトロイツカヤ塔(奥)
クレムリン内部の教会や博物館に入るためにはチケットが必要です。チケットは白くて丸いクタフィヤ塔の両脇にあるチケットブースで購入します。中に入ってからでも購入することが出来るよ(^_^)。 塔の入口でミリツィア(民警)による荷物チェックを受け、中に入ります。人数管理はバーを回転させて入る機械(TDL等の入口で採用してるようなやつ)でチェックしてるようでした。リュックサク程度の大きさになると持ち込み拒否されるので、気をつけてね(^_^)。持ち込み拒否された時は、地下の荷物預けに預けることができるそうです(^_^)。
緩やかな坂道を登ってトロイツカヤ塔をくぐると、いよいよクレムリン内部です。
E宮殿兵器庫 クレムリンの内部に入り、すぐ左にある建物が宮殿兵器庫です。 この建物は、ピュートル大帝時代のバロック風の建物です。
残念ながら、内部は一般公開されてないが、兵器庫の広場にはナポレオン軍から奪った大砲が飾られていました。
その数、なんと875個だそうです。
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ナポレオン軍から奪った大砲の数々
大砲にはNのマークが見られる
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宮殿兵器庫前の大砲
Fウスペンスキー大聖堂(聖母昇天総主教座大聖堂) ![]()
当時、モスクワのライバルだった古都ウラジーミルの大聖堂を模範として作られました。
このウスペンスキー大聖堂は、かつてロシア帝国の国教大聖堂とされ、ツァーリが戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付かれた場所です。
大聖堂の壁と屋根はイコンの画で飾られていますが、イコンをここに残した僧侶の数はおよそ1000人にも及ぶといわれています。
中でも、12世紀の聖ゲルオギー像と13〜14世紀の三位一体像は必見。
中央右手に皇后の座席、左手には1551年作の木工彫刻の傑作であるイワン大帝の玉座が配置されている。
その他、ナポレオン軍が敗退の時に盗み出した300kgの金と5tの銀を奪いかえして作ったとされている銀のシャンデリアもありました。
↑ 13〜14世紀の三位一体像
← 銀のシャンデリア
クレムリンの中で唯一中に入って見学したところです。聖堂の中は写真撮影が可能でしたが、撮影料が必要でした。
物価などから考えるとかなり高いのですが、2度と来る事もないだろうと思って撮影料を払って中に入りました。撮影料を払うとカメラのマークが入ったシールをくれます。それを貼って撮影しましょう。
で中に入ったものの、特になんということもなかったです。シールなんて貼ってなくても撮影できるしねぇ・・・。撮影箇所はイコンと玉座とシャンデリアぐらいだったし、なんかちょっとガッカリです。
Gブラゴヴェッシェンスキー聖堂(聖母受胎告知聖堂) ![]()
1484〜89年、モスクワとプスコーフの名匠たちが建て、16世紀中頃火災に見舞われたが、イワン大帝によって修復された教会。この時に拡張された部分がもとの教会を取り巻くポーチで、イワン大帝のポーチと呼ばれています。 こちらは、皇帝の個人礼拝聖堂です。
フレスコ画、イコンが有名で、1508年にフォドオシが描いた作品は、1947年に復元されオリジナルを見れるとか・・・。
Hアルハンゲルスキー聖堂 大天使ミハイルを奉った初めての石造りの教会で、歴代のツァーリや貴族の遺体安置所になっています。
全部で48もの棺が堂内にところ狭しと並べられており、イワン雷帝やその息子イワンの棺もあります。最古のものは、1340年没のイワン・カリタ公のもの。
設計はイタリア人で、1505〜1508年にかけて建立された。もともとは軍の庇護者ミハイル・アルハンゲルを祀ったものである。建物は、16世紀のロシア建築様式を踏襲したものだが、設計者がイタリア人だということもあり、どことなくリネッサンス様式の面影もある。